住民投票には憲法上の拘束力がある

在日米軍普天間飛行場の辺野古移設の是非を問う沖縄県民投票の結果は、「反対」が実に72%を超えたそうです。


 

在日米軍普天間飛行場の辺野古移設の是非を問う沖縄県民投票の結果は、「反対」が実に72%を超えた。

それでも、安倍政権はそれを無視して移設工事を続行する構えを崩していない。その背景に「県民投票には法的拘束力がない」という認識と「安全保障は国の専権事項だ」という認識があることは確かである。

しかし、県民投票には、わが国の最高法である憲法上の拘束力があることを忘れてはいないだろうか。

憲法95条は「ひとつの地方自治体のみに適用される国の法律は、その自治体の住民投票で過半数の同意を得なければならない」(つまり、自治体住民には拒否権がある)と定めている。つまり、それが国策として必要だと国会が判断しても、その負担を一方的に負わされる特定の自治体の住民には拒否権があるという、極めて自然で当然な原則である。

(略)

そこで、改めて今回の問題を分析してみると次のようになろう。まず、わが国の安全保障を確実にするために日米安保条約が不可欠だという前提は争わないでおこう。しかし、だからといって、そのための負担を下から4番目に小さな県に7割以上も押し付けていていいはずはない。そこに住民が反発して当然である。だから、政府としては、憲法の趣旨に従って、「少なくとも県外への移設」を追求すべき憲法上の義務があるのだ。

【日刊ゲンダイDIGITAL 配信】

この記事における

『憲法95条は「ひとつの地方自治体のみに適用される国の法律は、その自治体の住民投票で過半数の同意を得なければならない」(つまり、自治体住民には拒否権がある)と定めている。』
という部分には説得力があると思います。

また記事には
『もちろん、辺野古への米軍基地の移設は形式上は「法律」ではない。それは、条約上の義務を履行しようとする内閣による「行政処分」である。』
と書かれており、そのまま憲法95条に抵触するものではないにしても、その憲法の精神に則れば問題があることは確かです。

つまり

国民一般がおかしいと思っている「沖縄への基地の集中」の問題は、「憲法の精神にそぐわない行為」でもあるということになります。

日本の安全保障の問題は米国抜きには考えられず、その意味では米国の考え方を重視するのは当然ではありますが、「なぜ沖縄なのか」という点については軍事上の機密ということで、細かい説明がなされていません。

こんにちでは

航空移動という点においても昔よりは格段に進歩しており、地理的要因という説明では必ずしも納得は得られないものと思われます。

どうしても沖縄でなければならい理由を概要でもいいから示すことが大切で、その理由に該当しない基地は他の自治体に強制的に移転して、最低でも4割ぐらいに減らすよう努力すべきだと思いますが、そのためには米国の考え方の開示が必要で、問題のない範囲での開示が早急に行われるよう期待したいと思います。

そして何よりも

日本が一国で防衛できないという状態は、やはり独立国としては重大な欠陥を露呈しているものと思われますので、少なくとも軍事技術(武器開発)の一層の向上を図ることと、NATOへの加盟などの集団安全保障体制を模索することを、より積極的に検討すべきだと思います。

自らの国を自ら守ることができず、またそれ故に沖縄への基地負担を70%のままとするしか方法がないというならば、あまりにも無策で無責任な行政という批判を免れないと思います。