さよなら、夕張線 最後の旅へ

炭鉱路線としての役割をとうの昔に終えた夕張線は、間もなく120年以上に及ぶ長い歴史に幕を閉じるそうです。


 

夕張線、と言っても現実は石勝線の小さな支線に過ぎない。石勝線は南千歳から夕張山地・日高山脈を抜けて帯広方面までを結んでいる北海道の大動脈だ(新得からは根室本線)。だから石勝線を走る列車のほとんどが特急列車。普通列車は夕張支線に乗り入れるものが1日に5往復走っているだけだ。

新夕張駅を出た夕張行きの普通列車は、遥か頭上高くの高架で駆け抜ける特急と別れて北へ進路を変える。蛇行する夕張川を渡って、少し走れば最初の駅、沼ノ沢。駅と言っても、周りに大きな市街地があるわけでもなく、昔からの炭鉱住宅の名残のような民家が立ち並んでいるばかりだ。

学生以外の地元の人の姿は車内ではほとんど見かけない。夕張の人口がめっきり少なくなったというだけではなくて、1日5往復だけの鉄道などクルマ社会の北海道ではほとんど誰も使わないのだろう。廃線後には南清水沢の駅近くに都市拠点施設ができて交通結節点としての機能も持つのだとか。通学の学生やクルマを使わない高齢者のための便はある程度確保されるのだろう。

こうして20分少々の夕張線の旅はあっというまに終わってしまう。1890年代から炭鉱路線として開業して栄華を誇り、日本の近代化に大きく貢献した夕張線。けれど、石炭の時代が終わると夕張線はしがないローカル線になってしまった。それからも夕張市の観光開発とその失敗という歩みも見つめ続け、翻弄されてきた。廃止をあと2カ月後に控えた今の夕張線は、鉄道ファンたちで賑わっている。反面、地元の人はもうほとんど乗っていないという。

炭鉱路線としての役割をとうの昔に終えた夕張線は、間もなく120年以上に及ぶ長い歴史に幕を閉じる。雪に埋もれる山間を鉄道ファンを満載にして走る気動車は、一体何を思うのか。いずれにしても夕張への山間をゆく列車に乗れるのは、あとわずかである。

【文春オンライン 配信】

夕張線が

廃線となることはだいぶ前から分かっていましたが、やはり寂しさがこみ上げてきます。

子供の頃、親戚が真谷地(まやち)という所に居て、よく泊りがけで遊びに行った思い出があります。

真谷地は

現在の石勝線沼ノ沢駅から、東方の真谷地炭鉱までの4.4kmを結んでいた北海道炭礦汽船の専用鉄道で、同炭鉱の閉山に伴い1987年(昭和62年)10月13日に廃止されています。

近くの広場でソフトボールをして遊んだり、プールでの水泳、夕張の映画館で見た映画、大きな銭湯での入浴などいろいろな思い出がよみがえってきます。

沼ノ沢駅からの鉄道では、

冬場はだるまストーブがたかれ、実にローカル線の雰囲気たっぷりの車内でした。

また沼ノ沢駅からはバスも出ており、バスの窓から垣間見える谷底はかなり深く、車同士がすれ違う時は道端によるため、大変スリリングな思いをしたことを覚えています。

石炭の時代が終わり、

夕張炭鉱も、また石炭を積んで室蘭港に運ぶための鉄道拠点としての追分町も規模が縮小され、時代の変遷のダイナミズムをひしひしと感じています。

一つの輝きが失われ、そして新たな輝きが生まれるということでしょうか。

この度の報道により、

世の中の形(時代)が、正に生き物のように多様に態様を変えて未来に向かって進んでいく姿を、様々なシーンを通して心に映しだすことができました。

当時、夕張地方で暮らしていた人にとっては、あの時代を懐かしく思い出す一つのきっかけとなるかも知れませんね。