「いいね!」押した被告に有罪判決

中傷的な投稿に「いいね!」ボタンを押した男性被告(45)に条件付き罰金を科す判決が下されたそうです。

『FBの中傷的な投稿に「いいね!」押した被告に有罪判決、スイス』

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スイス・チューリヒ(Zurich)の裁判所は29日、フェイスブック(Facebook)で動物保護活動家を「人種差別主義者」「反ユダヤ主義者」とこき下ろす中傷的な投稿に「いいね!」ボタンを押した男性被告(45)に4000スイス・フラン(約45万円)の条件付き罰金を科す判決を下した。

(略)

すでに数人の被告が主に自身が行った特定のコメントを理由に有罪判決を受けているが、他者のコメントに「いいね!」を押しただけで有罪となったのは29日に判決を受けた男性被告が初めてとみられる。

裁判所はケスラー氏に対する第三者の敵意に満ちた複数のコメントに男性被告が「いいね!」を押したことを問題視。男性被告がこのコメントを投稿した本人ではないことは重要ではないと指摘し、「いいね!」ボタンをクリックしたことによって被告は社会的に不適切な内容を明白に支持し、自分でその内容をコメントしたのも同然だとしている。

【AFP=時事 配信(ヤフーニュース)】

ニュースでは、

さまざまな背景や経緯の全てを報じる訳にはいきませんので、これだけでは、この「いいね」が、どれだけの反社会的行為になるのかは不明ですが、少し行き過ぎのような気がします。

仮にそのコメントが、社会的に不適切な内容であったとしても、それに対する「いいね」を、コメント全体に対する支持とみなすことには無理があると思います。

たとえば、

その内容自体は好ましくなくても、その姿勢については良しとするという意味での賛同や、コメント中の一部についての賛同ということもあり、その賛同の意思を「いいね」で表すことがあります。

社会に発するコメントには、投稿者の意思が反映されていますので、それが具体的な反社会的内容である場合は、監視や捜査の対象になることを否定するつもりはありませんが、そのコメントに対する「いいね」を、そのコメント投稿者の意思と一体とみなすためには、それ以外の明確な証拠が必要だと思います。

今、政治の場では

「共謀罪」についての議論が盛んですが、まず「言葉」は「行動」ではない、ということを改めて認識すべきだと思います。

「売り言葉に買い言葉」という表現がありますが、「言葉」は感情によって発せられることが多く、それを即「行動」の準備と捉える考え方には無理があります。

「言葉」を発し、「対論」が発せられて、考え方が変わったり、深まることは多く、むしろ監視を恐れて、何も「言葉」を発することができない状況から生まれる「一方性」こそが、重大な危険行為に直結する要因となるような気がします。

「人生の目的は行為にして思想に非ず。」

という偉人の言葉が残されていますが、思想とは理想や願望の入り混じったもので、直接行為を規定するものではありませんし、ましてやコメントは思想の一部が何かのきっかけでこぼれたものにすぎません。

できればコメントや、それに対する「いいね」の悪い側面を強調して取り締まるよりは、逆に、いろいろな考え方によって自分の理解を深めることができるという、良い側面を強調したいと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。