詩「RIN」を読んで

知人(H.O)さんからメールがきました。 メールの内容を以下にそのまま掲載します。

詩集「言葉の河」- 詩「RIN」の読後感想です。

詩を読んだ後の、心に残った光景です。

『人通りもまばらな、とある街の橋のたもとから、言辞が放流された。ひとたび河口をあとにすれば、二度とは戻って来ない。水源への旅コースの帰路、支道からつぎつぎに異語が流入して渋滞するが、そのあいだも、かれらの言辞は、支流を下り、河口を抜けて、私たちの統御の及ばない海原へ流れていく。やがて冬が来て、伏流する意味も、倒木ばかりを残して絶える。私たちの旅は別のはじまりへと旋回している。あるべき旅程もそこから先は白く消されている。』
このような光景や、振る舞い、思いなどが、私の心に残りました。

この詩から伝わってきた思いです。

『密かに発表されたとしても、それらの言辞は、ひとたび公開されれば、二度と消えることはない。発表された経緯などを、調べようとしても、つぎつぎと異語が流入して、なかなか明らかにはならないが、一方で、発表された新たな言辞は、統御の及ばない海原へと流れ去るのみだ。やがては、並行して検討する意味さえも薄れ、それ以上は、ただ放置するしかなく、また別の言辞についての検討へと旋回することになる。』
このような思いが、伝わってきました。

何かに対する言辞が、

媒体を通して発表されると、それらは勝手に拡散していき、取り消すことは、できなくなります。

仮に、誤解や、中傷などの言辞があり、それについて、発生源を調べようとしても、枝葉の情報などが錯綜して、なかなか、そこには辿りつけないものです。

結局は、

放置せざるを得なくなり、無責任な言辞であっても、大手を振って、流通してしまいます。

現在は、様々なネットワーク上での公開が可能なため、その傾向は、格段に強まっているといえます。

それを踏まえると、

私達は、公開され、拡散している言辞に対しては、鵜呑みにしないことが大切で、そのためには、他の情報と比較したり、相反する言辞についても調べる、といった心構えが、何にも増して、必要になってきていると思います。

「無責任な言辞をしない、させない」という気持を、今後も、大事にしていきたいと思いました。(H.O)

以上が知人(H.O)さんからメールでした。またメールがあり次第掲載させていただきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です