詩「五月」を読んで

知人(H.O)さんからメールがきました。 メールの内容を以下にそのまま掲載します。

詩集「言葉の河」- 詩「五月」の読後感想です。

詩を読んだ後の、心に残った光景です。

『ふかい眠りの底に五月の湿地がある。そこには幼友達の死骸と祖母の呆けた最後のことばが埋まっている。その湿地は今では汚れ、湿って人気がまったくない。「もう誰ひとりここへは来るな」という視線で小さな昆虫を見ているうちに、眠りながら泣いていたことに気付く。五月は誕生月で、その湿地は今でも泥とゴミにまみれて雨に打たれている。』
このような光景や、振る舞い、思いなどが、私の心に残りました。

歳をとるたびに、

辛い思い出や、悲しい思い出が蘇り、その都度、新たな悪い思い出が重なっていることに気がつき、そのまま封印してしまいたいという、ままならない苦悩が伝わってきました。

人には、いろいろな出来事があり、その都度、思い出として残るものだと思いますが、特に辛い思い出は、なかなか払拭できないものです。

しかしそれらの思い出も、

一つの良い思い出により和らぎ、少しずつ色あせていくもので、やはり、「先を見て、光の中に身を置く努力を続けることが、良い人生への道となるのでは」と、思いました。(H.O)

以上が知人(H.O)さんからメールでした。またメールがあり次第掲載させていただきます。

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