対等の立場に立つ
今日は「対等の立場に立つ」ということについて考えてみました。
対等の立場に立てば双方向の情報交換になりますが、一方が優位だとどうしても一方的な情報交換になることが多いのではないでしょうか。
仕事(あるいは人間の活動)というものは、いろいろな人が関わりあって行われます。たとえば歌手が歌を歌うというケースを考えた場合、少なくとも作曲家、作詞家、歌手という関わりあいがあり、この関わりあいが密になって初めて「良い仕事」ができるのだと思います。
作曲家が歌手に、
歌手が作曲家と作詞家に、作詞家が作曲家に、お互いが自由に注文をつけあえるようになると、より良いものに練られていくと思います。
各々の専門的視点が異なるので、一人の感覚より三人の感覚で揉んだほうが、より的を得たものに成長していく可能性が高くなります。歌手の気持の乗り、作詞家の詩の気持、作曲家の音の狙い、これらが双方向に刺激しあうことでお互いに新しい気持を芽生えさせ、より三者が満足できるものへと変わっていくような気がします。
関係者の格(立場・地位)が同じであれば、
このように対等の立場で双方向の情報交換が為されますが、たとえばベテランと新人のような関係だと、どうしてもベテランからの一方的な情報伝達になってしまうことが多いのではないでしょうか。新人からの情報が的外れになりやすいためですが、しかしここでも双方向の情報交換が必要なことに変わりはないと思います。
以前何かの本で読んだ中に
「学校の教師は子供に教えるだけでなく、子供から教わることも大切だ」という内容の話がありました。一方的に教えるだけだと子供が理解しているかどうかが良く分からないので、どれだけ理解しているかを子供に教わる姿勢を忘れないようにしている、という内容でしたが、これが正に双方向の情報伝達だと思います。
立場が同等で無い場合は、
立場の上の人が、下の人の思いを汲み取ろうという姿勢により、双方向の情報交換が可能になります。勿論立場の下の人は謙虚な気持でそれに協力する姿勢をもたなければなりません。世の中の様々なことを思い浮かべる時、一方的に行われることで良い結果になったということは、そんなに多くはないと思われます。
徳川家康という武将は今でいう「ワンマン社長」であったと思いますが、多くの部下の意見を聞くことで「石橋を叩いて渡る人物」というように形容されています。だからこそ天下を統一でき、さらにその後の平和を維持できる礎を築くことができたのだと思います。