真似するということ

今日は「真似」という行為を少し掘り下げてみました。

全ての発明は「過去の物真似から始まる」と言われています。ただこの言葉は「始まる」といっているのであって、真似で終わることを良しとしている訳ではありません。他人の成果だけを真似て、それ以上進めなければそこには独創性・独自性が存在せず、結果として成果を盗んだだけになります。

大切なことは

真似から始めて、工夫を重ねることではないでしょうか。きっかけは他人の真似であっても、そこから新しいものを作りだすことができたら、その人の独創性・独自性として評価に値すると思います。

現在多くの人が目にしている技術は

全て過去からの遺産として先人の知恵を母体にして育まれてきたと言っても過言ではありません。学校で学んだことや、定常的な経験などは全て過去の成果に他なりません。

この土台の上に立つということは、言葉を言い換えると「真似すること」と言えます。一切、何の真似もしていない技術というのは過去の影響を全く受けないで生まれた技術ということになり、共同社会においては絶対にありえないことです。

真似の上に

新しいものを積み上げるには「粘り強く、諦めずに対象に取り組んでいけるか」という側面が大切になります。その点、日本という国は資源の無い国であるため、日本人はそこにある物を工夫して、利用することを当たり前と考える傾向が強く、加工への執念は相当に強いものと推察されます。島国のため土地は狭く、同じ様なものを作る人も近くにいるため自ずから競争が始まり、より緻密さを増す傾向も強いはずです。技術大国と呼ばれるようになったのも、その国民性故と言うことができると思います。

私達に備わった、

真似から入り新しい価値の創造まで粘り強く進める日本人の特質を、大いに誇りにしてもっと素晴らしい技術開発の担い手となって、世界の人々の役に立つことができればこんな素晴らしいことはありません。今後さらに多くの技術者・研究者が現れることを期待したいと思います。

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