議員内閣制における政権担当能力

日本では現在「議院内閣制」により国政が行われておりますが、この選択は最良の選択なのでしょうか。

このことを判断するためには色々な観点からの検討が必要ですが、その中の「三権分立」と「政権担当能力」という側面について検討してみたいと思います。

「三権分立」の側面から見る場合は、

「行政の都合により立法が為される」という問題点があります。本来なら自由な候補者としての立場で立候補した人は、いわゆる大きな理想を掲げて立法を目指し、その施行を望んでいたはずです。しかし政権を担う時は行政側の立場に立つことになり、現状からの様々の制約を受けることになります。

その一番大きな制約は財政状態でしょう。大きな理想も「資金はどうする」という観点から見ることで、立法化が見送られることも多くなると予想できます。

本来なら

立法の理想は財政状態を越えて提案されなければなりません。何故なら法というものは「こうあるべき」という理想に基づいて定められるべきものだからです。

行政の立場で施行するかどうかは、また別の判断があって然るべきものであり、「大統領制」の国ではその判断としての拒否権があると聞いています。

立法府が「こうあるべき」という観点で法律を作成し、行政府が「他の優先事項により拒否する」という観点で施行する形は非常に分かり易いと思いますが、「議員内閣制」ではこの形は一つの「矛盾」を露呈することになります。それは立法も行政も同じ政権党が決定権をもっているからです。

極端にいえば同じ党が

一方では成立させた法案を他方では拒否することになるからです。

「大統領制」の国では個人と党という関係なので「矛盾」は露呈しません。「議員内閣制」の国では施行の難しい法案は検討もされないのに対して、「大統領制」の国では立法も施行も堂々と明示的に行われます。

次に「政権担当能力」という側面から見る場合は、

行政に不慣れという問題があると思います。

政権党といえども政治家は立法員としての立場から活動を開始します。議員の多くは初めから国政のこの部門でこの様な決定・運営に参画したいと(具体的に)考えて立候補するのではなく、やはり「こういう法律を作りたい」ということを考えての立候補になると思います。

一方現実の行政は様々な制約の下に行われており、その一つ一つを理解しながら指示を下すことは難しいことといえます。単に大雑把に指示しても「具体性がない」ことを理由に、あるいは「他の理由」を提起されて、実際には動かせないことも多いものと思われます。

これは行政の専門家が必要なことを意味しています。

つまりたくさんの行政の担当者が政権政党に参加していることが理想ですが、公務員制度との密接な関わりがあるため、現実にはそうはならないと思います。

この点では「大統領制」の国でも同じことが言えますが、ただ一個人に共鳴して協力することになるため、多くの行政賛同者が得られる可能性はこちらの方が大きいのではないかと思われます。

「議員内閣制」では誰に共鳴していいのかすらも分からないので、協力しようにもできない状況にあり、結果的に行政賛同者の数を増やせないということになると思います。

結局「政権担当能力」という面では

政治家は成立した法案の趣旨を説明する能力が主となり、それを施行するための現実的法環境の調査・通達を行政職員に委託するということになるものと思われます。そうであればそれが順調になされるための仕組みをどう作るかが鍵になります。

そのためには

行政担当責任者の在り方を検討することになります。現行の事務次官のような全体を統括する職責は命令系統が二重になることを意味するので廃止し、各部門の統括までに留めるのが良いと思います。

また職員の職務としては 「法案施行のために必要な項目を抽出する職務」と「抽出された項目について具体化する職務」に分けて、どの政党が政権を担っても、どの法案を施行することになっても実現可能となる仕組みの構築が求められるべきかと思います。

これまでの検討から言えることは、

「立法は行政に依存しないこと」、「行政が政治主導で行われるよう行政職員の仕組みを構築すること」が重要であり、また制度としては「議員内閣制」より「大統領制」の方が曖昧さがないという面ですぐれたシステムだということになります。

最後に

「野党第一党」の役割を強化することも大切だと思います。次の与党となることもあるので、この「野党第一党」に対しては行政担当者による立法のための調査協力を義務付けるなどの配慮が為されるべきかと思います。

抜本的な立法を提示し、実現できる行政の在り方(システム)として、皆さんならどちらが良いと思われますか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です